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読書とアウトドア好きな会社員のオフライントーク

「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」 春樹センセ訳で、少し優しくなったマーロウに二度目の恋をした


あらすじ

私立探偵フィリップ・マーロウは二度酔っぱらいのテリー・レノックスを助けた。
億万長者の娘シルヴィアの夫だったが、どこか暗い陰があったテリーとは何度か逢ううちに互いに友人として惹かれ合う。しかし、三度目の危機は抜き差しならぬものだった。
ある夜テリーがマーロウのアパートを訪れ、メキシコ行きを手伝って欲しいと頼んできた。明らかにおかしな様子であったが、マーロウは何も聞かずテリーを連れていく。
戻ってきた彼を待っていたのは刑事たちで、妻殺しの容疑をかけられたテリーが国外に逃亡するのを手助けしたとしてマーロウを拘留する。友をかばい黙秘を貫いたマーロウだったが、そこへメキシコからテリーが罪を認め自殺したという報せが入り、マーロウは釈放される。
果たしてテリーは本当に妻シルヴィアを殺したのか?
別の調査を依頼されたマーロウは、それがテリーの過去に繋がるものと知り、調査に乗り出した・・・

こんな人に読んで欲しい
◇クールでタフな男に憧れる男性
◇渋いオジサマ好きな女性
◇都会のバーでカクテルを楽しむのに憧れる人

感想
探偵マーロウはハードボイルド小説の行動的なタフガイ・ヒーローには違いないのですが、内省的な面も併せ持つ複雑なキャラクターです。家族はまったく描かれず友人も少なく、チェスとクラシック音楽を好み、依頼人の秘密を守るためには脅しにも屈せず、その一方で彼が気に入らないと思った依頼人には報酬を突き返すような、自分の中のルールにのみ従って行動する、孤高の探偵です。

皮肉とウィットに溢れた比喩やピリッとした気の利いた台詞など、その影響から多くのキザ野郎を生み出しました。探偵の真似をして、トレンチコートに身を包み早い時間のカクテルバーでギムレットを頼んだ人は私だけではないはず。

清水俊二訳『長いお別れ』との比較は色々と論じられています。
村上訳は、いわば、後出しジャンケン、なので、清水訳との良し悪しを云々するのはフェアではないと思いますが、あえて翻訳文の違いを言うならば、清水訳が短いきびきびとした文章なのに対して、村上訳は、もう少し言葉を足して原文のニュアンスを丁寧に伝えようとしている、くらいでしょうか。

マーロウの一人称で書かれているので、その文体はすなわちマーロウというキャラクターの造形と直接的につながってきます。

清水訳では、タフなキャラクターの「強い」面が表に出ていて、それが短文、ぶっきらぼうな物言いで上手く表現されていました。
一方の村上訳では、マーロウの強さと弱さ、寡黙で行動的な表面に隠されてはいるが、知性と教養、感傷的でウェットな感情を持つキャラクターとしての造形を感じさせる言葉使いになりました。

私のように清水訳で慣れ親しんだ方は、村上訳のマーロウは少し優しくなってイメージと違う、と思われる方も多いのではないかと思います。

このような翻訳による違いが世間で話題になるほどの本はそうはありません。それだけ本書が読者や後年の作家からも長く愛されている証拠でしょう。